# 第8話 勇者が辞めても、補給は止まらない
 大橋さんが退職届を出した翌日、王国輸送局で引き継ぎの打ち合わせが始まった。
 机の上には、大橋さんが作った一か月分の引き継ぎ表と、北部・東部・西部へ向かう輸送路の地図が広げられていた。
「後任の《転移門》は?」
 輸送局の担当官が聞いた。
「いません」
 大橋さんが答えた。
「では、誰に引き継ぐ」
「俺一人に集まってる仕事を、元に戻します」
「元に?」
 大橋さんは北部の前線倉庫を指した。
「まず食料と矢と薬を十日分まで戻します。最初だけ俺がまとめて運ぶ。その後は定期馬車で減った分を補充します」
「転移を使わないのか?」
「緊急便には使います。毎日の食料まで俺が運ぶのをやめるんです」
 担当官が俺を見る。
「ケイスケ殿の案か?」
「そこは大橋さんの仕事です」
「前は配車担当だったので」
 大橋さんは地図に引いた線を指で辿った。
「東部と西部も、同じように通常便へ戻します。何台必要かは、今週の消費量と所要時間を見ながら決めます」
 最初の一週間は、大橋さんの《転移門》を使って前線倉庫の在庫を戻した。
 北部には食料、矢、薬、予備装備を順に送った。
 十日分まで積み終わった日の夕方、大橋さんが在庫表を眺めた。
「俺、これを毎日ちょっとずつ運んでたんですよね」
「まとめると結構な量ですね」
「配車やってたのに、自分だけ配車表の外でした」
「車両欄に『大橋』って書くべきでしたね」
「嫌だな、その配車表」
 翌週から、通常の補給には《転移門》を使わなくなった。
 二日目の昼、北部から連絡が来た。
「矢が足りなくなる。すぐ送ってほしいそうです」
 担当官が大橋さんを見る。
「矢の残りは?」
「三日分です」
「次の北部便は?」
「明日の昼」
「その便の矢は?」
「もう積んであります」
 大橋さんは在庫表を確認した。
「じゃあ緊急便じゃないですね。明日の定期便で」
「今までなら今日中に届いたぞ」
「今までを引き継いだら、俺が辞められないでしょう」
「……分かった。明日の便で送る」
 翌日の昼、矢は定期便で届いた。在庫が切れる前に、次の荷が倉庫へ入った。
 大橋さんは到着報告の横に丸をつけた。
「一個目」
「何がです?」
「俺じゃなくても届いたやつ」
 負傷者搬送の打ち合わせには、軍の治癒担当と、前線に近い町の治療院からも一人ずつ来てもらった。
「この治療院で対応できる怪我は、ここで診ます」
 治療院の責任者が言った。
「王都の治療が必要でも、馬車で移せる状態なら通常搬送でいい。移動時間が生死に関わる時だけ、《転移門》をお願いします」
「誰が決めます?」
 大橋さんが聞いた。
「その場で診た治癒担当です」
「じゃあ俺に来る連絡は、『王都へ送ってくれ』じゃなくて『緊急転移が必要』まで判断した後でお願いします」
「分かりました」
 運用を変えてからの一週間で、大橋さんが緊急搬送に呼ばれたのは三回だった。
「三回か」
 勤務記録を見ながら、大橋さんが言った。
「前は一日に三十回くらい門を開けてたんですけど」
「帽子も侯爵も来なくなりましたね」
「侯爵、自分で馬車で帰ってるらしいですよ」
「帰れるんじゃん」
「最初から帰れたんですよ」
 大橋さんは勤務記録の三件を指でなぞった。
「でも、この三回は転移で良かったと思います」
「なら、次の仕事でもそこは残せますね」
「こういう使い方なら残したいです」
 引き継ぎ表の最後には、
 《大橋拓海が一日いなくても回るか確認》
 と書いてあった。
「これ、本当にやるんですか」
 最終週の朝、大橋さんが聞いた。
「大橋さんが書いたんでしょう」
「書きましたけど」
 輸送局は、その日一日、大橋さんを通常業務から外すことに同意した。呼ぶのは、軍の治癒担当が緊急転移が必要だと判断した時だけ。それ以外は、この三週間で組み直した便と在庫で回す。
「本当に帰っていい?」
「通常便では呼びません」
「怪我人が出たら?」
「治癒担当が緊急転移が必要だと判断した時だけです。退職後もそこは同じでしょう」
「……そうですね」
 大橋さんは入口で二度振り返ってから帰った。
 その背中を見て、前の世界で初めて有給を取った日のことを思い出した。
 二社目へ転職したばかりの頃、俺も休みの日に仕事の連絡を確認しようとして、先輩に止められた。
 月曜に出社したら、担当していた案件は普通に進んでいた。
 午前九時、北部の定期便が到着。
 十一時、東部から在庫報告。予定通り。
 午後二時、西部から負傷者六人の連絡が入った。
 輸送局の担当官が、軍の治癒担当へ確認する。
「転移は必要か?」
「五人はこちらで処置済みです。一人は王都の治療院へ送りますが、容体は安定しています。通常搬送で問題ありません」
「次の王都便は?」
「一時間後です」
「それに乗せる」
 大橋さんの名前は出なかった。
 夕方五時。
 北部、東部、西部の定期便はすべて予定通り到着。緊急転移の要請はゼロ。
 西部の負傷者も、六人全員の処置が終わっていた。
 約束の時間に、大橋さんが輸送局へ戻ってきた。
「どうでした?」
 担当官が一日の記録を渡した。
 大橋さんは上から下まで読み、もう一度読み直した。
「俺、今日一回も呼ばれてない?」
「呼んでない」
「補給は?」
「全部届いた」
「怪我人は?」
「転移なしで対応できた」
 大橋さんは記録の「緊急転移 0件」の欄を指でなぞった。
「……辞められる」
 次の面談には、大橋さんが自分で作った引き継ぎ表を持っていった。
 王都運送組合の組合長は、最初の二枚を読んだところで顔を上げた。
「これ、あんたが作ったのか?」
「はい」
「転移ができるとは聞いてたが、配車もできるのか」
「むしろ、そっちが前の仕事です」
「うちで何がしたい?」
 大橋さんはすぐ答えた。
「配車係です。通常便を回したい。《転移門》は、予約便と本当に急ぐ仕事だけにしたいです」
「夜は?」
「救命とか軍の緊急なら出ます。でも、夜に出たら次の日は休みたいです」
「毎晩呼ばれるのは?」
「辞めたいです」
 組合長が笑った。
「分かりやすいな」
「通常便の配車は昼間。転移案件は一件ごとに記録して、別手当を付ける」
 組合長が契約案を読み上げた。
「夜間は、契約で決めた緊急案件だけ。夜に出たら翌日は休み。これでどうだ」
「いいです」
「軍から直接呼ばれたら?」
「組合を通してください」
「そこは俺もその方がいい。誰が何件使ったか分からなくなる」
「職種は、配車係兼緊急転移便担当でいいな」
「長いですね」
「転移担当だけにしたら、また何でもお前に来そうだ」
「じゃあ長い方で」
 王国軍との緊急輸送契約も、依頼先は大橋さん個人ではなく王都運送組合にした。
 大橋さんが契約案の転移手当の欄を指した。
「これなら、自分が何件運んだかも分かりますね」
「今までは分からなかったんですか」
「給料はずっと五枚でしたから」
「今度は一件ずつ残ります」
「それがいいです」
 本人と運送組合が署名し、俺が《契約保証》を掛けた。
 退職日。
 大橋さんは王国輸送局へ鍵と記章を返した。
「北部で何かあったら、どうする」
 担当官が聞いた。
「緊急転移の契約に当てはまるなら、運送組合へ依頼してください」
「お前に直接頼むのは?」
「なしです」
「厳しいな」
「一か月かけて、そのために引き継いだんで」
 大橋さんは記章から手を離した。
 店へ戻り、王都運送組合の外部案件台帳を棚へ入れた。アーデル商会、王都共同診療所、その隣に王都運送組合の三冊が並んだ。
 その日の夕方、扉が勢いよく開いた。
「ケイスケ殿は!」
「俺です」
 軍の伝令だった。
「北境に魔王軍三千! 軍務局長が至急来るようにと!」
「何の話です?」
「勇者レンを王国へ戻せ、とのことです」