# 第7話 空間転移の勇者は逃げられない
「まず、何が一番嫌ですか」
大橋さんは少し考えた。
「呼ばれたら仕事、がずっと続くことです。終わる時間がないんですよ」
「終わる時間が決まってないんですね」
「そうです。朝の便が終わっても、誰かに呼ばれたらまた仕事です。今日も朝五時半からです」
大橋さんが店の時計を見た。午後十一時四十分。
「で、今は侯爵を待たせてます」
「侯爵?」
「宴会の送迎です。もう一軒行くから待てって」
「それを待たせて来たんですか」
「どうせ飲んでるんで」
「戻ったら怒られません?」
「怒られたら、『宴会帰りは緊急輸送じゃない』って言います」
「まだ退職前ですよ」
「今から練習です」
大橋さんは悪びれずに言った。
「今日はそれまでに二十九回、門を開けてます。北部軍に食料、西領へ役人、商会の緊急荷物、怪我人を王都へ二人。侯爵は三回」
「侯爵だけで三回」
「屋敷から宴会、宴会から別の宴会。今が帰り待ちです」
さっき店へ入ってきた時も、大橋さんは王城の廊下とこの店を扉一枚で繋いだ。
「この店に来たのは初めてですよね」
「はい。昼に前を通ったことはあります」
「それで開けるんですね」
「自分で見た場所なら。地図とか絵だけじゃ駄目です」
大橋さんは椅子へ深く座り直した。
「食料も怪我人も宴会帰りも、俺に来る時は全部『今すぐ』なんですよ。それが一番嫌です」
「召喚前は何を?」
「配送会社で配車やってました」
「なるほど」
「前の会社でこんな配車したら怒られますよ。一人に二十四時間、全部振ってるんで」
その一言で、今の仕事の何が嫌なのかはだいぶ分かった。
「契約書、持ってます?」
「あります」
大橋さんが鞄から契約書を出した。
王国輸送局所属。退職する場合は一か月前までに申告。違約金はない。月給は金貨五枚。
「辞められますね」
「分かってます。退職届も書きました」
「出してない?」
「三回持っていきました。三回とも、『お前が辞めたら北部軍への補給が止まる』って言われて」
「止まると思ってるんですね」
「思ってます」
即答だった。
「昨日だけでも北部へ食料を四回運びました。負傷兵も、俺なら前線から王都の治療院まで一分です。急にいなくなったら、たぶん誰か死にます」
大橋さんは契約書を指で押さえた。
「自分のことだけなら、とっくに出してますよ」
退職届を出しても、一か月は在籍する契約だ。
「一か月あるなら、その間に今の仕事を整理しましょう。《転移門》そのものは引き継げなくても、全部が能力必須とは限らない」
大橋さんが少し黙った。
「……記録、ありますよ。輸送記録。全部一件ずつ残ってます」
「じゃあ、それを一度見せてください」
◇
翌日、大橋さんは分厚い輸送記録を抱えてきた。
一週間で二百十九件。
前線への食料、矢、薬。負傷者搬送。役人や貴族の移動。商会の緊急荷物。
大橋さんが記録をめくっていた手を止めた。
「あ」
「どうしました?」
「これ、伯爵夫人の帽子です」
「帽子?」
「王都の屋敷に忘れたから、西領まで持ってこいって」
「緊急だったんですか」
「全然」
「少なくとも、それで人は死なないですね」
「ですね」
大橋さんがその行に線を引いた。
「こういうの、ほかにもありそうです」
二人で記録を分けた。
命に関わるもの。時間をずらせないもの。今日でなくてもいいもの。
北部軍向けだけで週二十六件あった。
大橋さんは食料便の欄で手を止めた。
「……毎日ある」
そこから何件か続けて量を確認する。
「しかも、ほとんど一日分だ」
紙をめくる手が速くなった。
「前線倉庫、俺が来た頃は二週間分くらい置いてたんですよ。今は二日か三日しかない」
別の記録を開く。
「馬車便も減ってる。足りなくなりそうになったら、俺を呼べばいいから」
大橋さんがしばらく記録を見たまま黙った。
「……俺が辞めたら補給できないんじゃないな」
大橋さんは自分で言ってから、もう一度記録を見た。
「俺がいる前提の補給方法に変わってるだけです」
大橋さんは新しい紙を一枚出した。
「これ、戻せる」
紙に「前線倉庫」と書く。
「まず在庫を戻す。北部なら十日は欲しいです。冬はもっと。そこを切る前に定期便を出す」
次に「定期馬車」と書き、線で繋いだ。
「全部を馬車に戻す必要はない。《転移門》は本当に急ぐ便だけ残せばいい。これなら通常の補給は、俺がいなくても回せます」
大橋さんはそこでペンを止めた。
「ただ、怪我人は別です。どこまで現地で治せるか、俺には決められない」
「そこは治癒担当に入ってもらいましょう。受け入れる治療院も」
「お願いします」
大橋さんは紙の上へ大きく「引き継ぎ」と書いた。
「これ、俺がまとめます。輸送局に出せる形にする」
「助かります」
最後の線を引いたところで、大橋さんが少し笑った。
「……配車表作るの、久しぶりだな」
「好きなんですね」
「好きでしたよ」
「じゃあ次も、配車ができる仕事を探します」
「転移も使っていいですけどね」
「両方で」
「それがいいです」
俺は契約書の退職条項を開いた。
「一か月前申告です」
大橋さんは鞄から、折り目のついた紙を出した。退職届だった。
「三回持っていって、三回とも出せなかったんですよ」
紙を机の上へ置く。
「明日、出します」
俺は卓上暦で、明日から一か月後の日に丸をつけた。