# 第4話 聖女は週休二日を希望します
「契約書、あります?」
「……たぶん、教会に。私の控えはもらってないです」
|白石美奈《しらいしみな》さんは、申し訳なさそうに言った。
「召喚された次の日に署名しました。『聖女として働くための書類です』って。部屋と食事は教会が用意するって話は聞きましたけど、給料とか辞め方とか勤務条件は、ちゃんと説明されてないです」
八か月前。突然知らない世界へ召喚され、加護鑑定で《聖女》と《広域治癒》が発現した。美奈さんの話では、その翌日には教会の人間に囲まれていた。
「『あなたの力なら大勢を救える』『今も治療を待っている人がいる』って言われて。よく分からないまま、ここに名前をって」
「断れる雰囲気でした?」
「……無理だったと思います」
美奈さんは一度、俯いた。
「でも、悔しいです。今なら絶対、『何の契約ですか』って聞くのに」
白石美奈、二十五歳。日本では看護師だった。重傷や重い病気まで治せる代わりに、治療するほど魔力を使う。
「今の働き方も教えてください」
「昨日は百四十六人治しました。最後に休んだのは四十一日前で、魔力切れで倒れたのは四回です」
俺は紙に、百四十六、四十一、四、と順に書いた。患者数、連勤日数、倒れた回数。労働相談のメモとしては、かなり嫌な並びだった。
「教会には何度も言ってます。軽症の人は一般の治癒術師さんへ回してほしい。重症の人を先にしたい。魔力が減ってきたら止めたいって」
美奈さんは口元を固くした。
「でも、『聖女の施療は来た人を選ばないから意味がある』って。寄付してる人の予約もあるし、無料だから来る人も多い。断ると教会の評判にも関わるって言われました」
「治療そのものは辞めたい?」
「辞めません!」
美奈さんが身を乗り出した。
「聖女の力、すごいんですよ! 大怪我でも、その場で治せるんです。こんなの、辞めたくないです」
迷いはなかった。
「分かりました。まず契約を見せてもらいましょう」
◇
翌朝、俺は美奈さんと王都中央教会へ行った。
「白石さんの雇用契約書を確認したいです」
司祭は美奈さん本人であることを確認すると、保管庫から教会側の控えを持ってこさせた。表紙には《聖女雇用契約書》。美奈さんが覗き込んだ。
「これ、ちゃんと読むの初めてです」
「あ。これ、私の署名です」
末尾に美奈さんの署名がある。月給、金貨四枚。住居と食事は教会負担。本人都合で辞める場合は三十日前までに申告。違約金なし。
「美奈さん」
「はい」
「これ、三十日前に言えば辞められます」
「えっ、辞められるんですか!?」
美奈さんの指が、退職条項の一文で止まった。
「本当に?」
「書いてあります」
「知らなかった……」
そこだけ二度読みしてから、さらに業務欄へ進んだ。
《中央教会が必要と認める施療および救護》。
勤務日数の上限なし。連続勤務の制限なし。魔力が減った時に治療を打ち切れるとも書いていない。教会が今やっていることは、契約違反とは言い切れない。
「今日は現場も見せてもらえます?」
司祭が頷いた。
「もちろんです」
治療所へ入ると、もう列ができていた。
「次の方」
美奈さんの前に、右肩を押さえた男が座る。
「いつからですか」
「半年くらい前から」
「仕事は?」
「石工です」
美奈さんが肩を動かしてもらい、触れて確かめる。
「これは一般治癒でも大丈夫です。隣で診てもらえますよ」
「でも、聖女様ならすぐ治るんだろ?」
「治りますけど――」
「ミナ様」
受付の神官が口を挟んだ。
「こちらの方は聖女施療で受け付けています」
美奈さんが一度黙った。
「……分かりました」
白い光が肩を包む。
男はすぐ腕を上げた。
「おお。治った」
「今日は重いもの持たないでくださいね」
男が喜んで出ていく。
次は足首の捻挫。
「この方も一般治癒で――」
「ミナ様」
「はい」
また白い光。
受付横の壁には、『聖女施療 無料』と書かれた紙が貼られていた。その隣の一般診療の料金表には、薬代と治癒術料が並ぶ。
美奈さんが水を飲む。
「次の方」
受付の神官が予約表をめくる。
「十一時からオルセン商会の方です。その後、寄付者のご家族が三名」
「今日、もうかなり魔力使ってます」
「午後の予約も入っています」
「それは分かってます。でも、重傷が来たら――」
入口の鐘が三回鳴った。
「急患! 道を空けて!」
担架が入ってくる。若い冒険者だった。革鎧の腹が赤黒い。左脚も曲がっている。
美奈さんが椅子から立った。
「腹が先です。脚は固定だけしてください」
医師が腹部を確認する。
「内出血が多い。一般治癒、二人。ミナさんは腹だけ頼む」
「はい」
美奈さんが両手を当てる。白い光が一気に強くなった。
「脈が弱いです!」
「ミナさん、残りは?」
「これを治したら、かなり減ります」
「腹だけ止めればいい。脚はこっちでやる」
「分かりました」
美奈さんは迷わなかった。
光を腹部だけへ絞る。
十数秒後、医師が声を上げた。
「止まった。ミナさん、終わり」
「はい」
美奈さんが手を離した。
「……よかった」
小さく漏らしてから、すぐ次の指示へ戻った。
「脚を固定。止血薬。一般治癒は二人で続けて」
医師と治癒術師たちがそのまま処置を続ける。
美奈さんは椅子へ座り、しばらく動かなかった。
「残り、どれくらいです?」
医師が聞く。
「重症なら、もう一人は無理です」
「今日は終わりだな」
「はい」
美奈さんが受付へ言った。
「今日の聖女施療、ここで止めてください」
受付の神官は予約表を見た。
「まだ七名います」
「分かってます。でも、もう重傷は治せません」
「七名のうち四名は予約です。オルセン商会の方もお待ちです」
「一般治癒で対応できる人は回してください」
「先ほども申し上げましたが、聖女施療として受け付けています」
美奈さんが息を吐いた。
「だから、もう無理です」
神官の奥から、治療所を預かる司祭が出てきた。
「ミナ様」
「はい」
「お気持ちは分かります。しかし、聖女の施療を求めて来られた方を、こちらの都合で選別するわけにはいきません」
「選別じゃなくて、治療の優先順位です」
「重傷者を先にすることには誰も反対していません」
「その重傷者を治す魔力を残したいんです」
「ですが、今待っている方々も患者です」
美奈さんは何も言わなかった。
司祭は続ける。
「中央教会が無料施療を続けられるのは、寄付してくださる方がいるからです。予約を反故にし、軽症だからと聖女様が診なくなれば、寄付が減る。その結果、救えなくなる貧しい方も出ます」
寄付が減れば、無料施療を続ける金も減る。それは分かる。ただ今は、その負担を美奈さん一人に押しつけている。
「今日は無理です」
美奈さんが言った。
「次に腹を裂かれた人が来ても、私は治せません。それでも続けろと言うなら、私はやりません」
司祭が黙った。
さっきまで処置をしていた医師が口を挟む。
「私も、今日はここで終えるべきだと思います」
「……分かりました」
司祭は受付へ向いた。
「残りの予約は延期を。一般診療へ移れる方には説明してください」
美奈さんの肩から、少しだけ力が抜けた。
◇
その日の夕方、店へ戻った。
「三十日前に言えば辞められるなんて、知りませんでした」
「そりゃ、契約書を渡されてないなら分からないですよ」
「私、八か月ずっと……」
美奈さんがそこで止まった。
「退職条項を本人に知らせてなかったのは、教会側の問題です」
「はい」
「ただ、辞められることは分かりました。次は、辞めた後に何をするかです」
「転職しましょう」
美奈さんが顔を上げた。
「したいです! でも、治療は辞めませんからね」
「続けます」
「お金ない人も」
「お金のない重傷者も断らずに済む方法を考えます」
「そんな職場あります?」
「なければ、その条件で雇ってくれるところを探します」
「美奈さんが欲しいのは、治療しなくていい仕事じゃないでしょう」
「はい」
「誰を先に治すかを医療側で決められること。魔力が危なくなったら止められること。週二日休めること」
「はい」
「それで、お金のない重傷者も断らない」
「……はい」
最後だけ少し小さくなった。
「そこが一番金かかりそうですね」
「ですよね」
俺は紙の上に一行書いた。
無料にする重傷治療の費用を、誰が負担するか。
「次はこれを考えましょう」
「はい」
美奈さんは、その一行をしばらく読んでいた。