# 第10話 勇者は、あいつだけ倒せばいい
低い角笛が、北境第三砦に響いた。
雪原を埋めていた魔王軍が動き出す。
「東壁、飛行魔獣!」
神崎の足が東へ向きかけた。
「第二弩隊、上を落とせ! 魔術兵は東壁へ!」
矢と魔法が東の空へ上がる。神崎は中央門の前に残った。
一体が雪原へ落ちた。だが二体目は火球を抜け、東壁へ突っ込んだ。
石が砕け、兵が数人まとめて倒れる。中央の予備隊が東壁へ走っていく。
治療所には、その負傷者がすぐ運び込まれた。
「重傷、五人!」
「こっちの腹部から。腕の骨折は一般治癒へ回してください」
美奈は一人目の腹へ手を当てた。隣では別の治癒術師が、血の止まらない兵士を押さえている。
「次も来ます!」
「順番だけ付けて。全員は一度に治せません」
補給所にも伝令が走った。
「東壁、矢が残り二箱!」
「予備は?」
大橋が聞いた。
「補給所に二十。ただ、外の馬車便が止まった!」
「まず四箱送ります。続きは司令官に聞いてください」
大橋が門を開き、矢箱を東壁の内側へ送った。
四箱目が通ると門を閉じる。
「これで終わり?」
「夕方までは持たん」
「次の要請、司令官を通してください。門は一つしかないです」
神崎は中央門の前から動かなかった。
やがて、正面の盾兵がまとめて吹き飛んだ。
三人分の盾が宙を舞う。
その向こうから、黒い鎧の大男が歩いてきた。ガルドスだった。
巨大な戦斧を片手で担ぎ、倒れた兵士を跨いで進んでくる。
「レン殿!」
「はい!」
神崎が中央門を飛び出した。
ガルドスも走った。
聖剣と戦斧が真正面からぶつかる。
金属音より先に、腕へ衝撃が来た。
靴底の深い刻みが雪を噛んだ。神崎は踏ん張ったまま押し戻され、両足の跡が二本の溝になる。それでも止まりきらず、最後は片膝をついた。
ガルドスは追ってこなかった。
「前は、立っているのもやっとだったな」
神崎は立ち上がり、聖剣を構え直した。
「今日は寝てきたんで」
「そうか」
ガルドスが笑った。
「なら、前より楽しめそうだ」
先に踏み込んだ神崎が右から斬りつけると、ガルドスは斧の柄で受けた。
神崎は止めず、そのまま懐へ入った。長い斧なら、近づけば振れない。
そう思った瞬間、ガルドスの膝が腹へ入った。
息が詰まった。
続けて肩をぶつけられ、神崎の身体が横へ飛ぶ。
神崎は雪へ手をついて転がり、その勢いのまま起き上がった。
「近くも強いのかよ」
「何か言ったか」
「やっぱ強いなって!」
ガルドスの戦斧が横に走った。
神崎は身を沈める。頭上を巨大な刃が抜けた。
そのまま一歩入って、黒い鎧の脇腹へ聖剣を滑らせる。
初めて刃が通り、鎧の裂け目から血が飛んだ。
ガルドスは脇腹の傷を気にも留めず、斧を引き戻す代わりに、柄の石突きを神崎の胸へ突き込む。
神崎は剣の腹で受けた。
受けたまま、十歩近く押し飛ばされた。
止まった時には、ガルドスがもう目の前まで来ていた。
「速っ――」
神崎が横へ跳んだ直後、戦斧が振り下ろされて雪原を割った。
砕けた土と雪が顔へ当たる。視界が白く染まったところへ、二撃目が来る。
二撃目を聖剣で受けると腕が痺れた。三撃目まで受ければ持たない。
「大橋さん!」
「左壕、開けます!」
神崎は数歩下がり、前衛左壕の縁に開いた門へ飛び込んだ。
次の瞬間、砦の指揮所へ転がり込む。
治療所では、美奈がまだ別の兵士を治療していた。
「神崎君、座って。先にこの人を終わらせます」
「俺より重い?」
「はい」
神崎は肩を押さえて待った。
白い光が消え、美奈がようやくこちらへ来る。
「肩ですね。……深い、これ」
「お願いします」
傷へ手が当たる。
「治せます。でも次に戻ってきても、神崎君を先にはできません。後ろにまだ重傷者がいます」
「分かりました」
肩の痛みが消えたところで、東壁から伝令が飛び込んだ。
「矢をもう四箱! 今すぐ!」
「右壕を開けたら、矢は送れません。どっち先です?」
「レン殿を戻せ!」
司令官が即答した。
「東壁は射数を落とせ。次の門で送る!」
「右壕、開けます!」
神崎は肩を回した。
「あと、戻る時も左右を使います」
「了解。矢便の前までです」
門が開いた。
神崎は前衛右壕へ出た。
ガルドスがすぐに振り向く。
「それが今度の仲間か」
「便利でしょう」
神崎は走り込み、右から斬りつけた。ガルドスが斧で受ける。二撃、三撃と続けても、すべて止められた。
だが今度は、押し返される前に離れた。
神崎は右壕へ下がって門をくぐり、指揮所へ戻った。
「左!」
「開きます!」
大橋が次の門を開き、神崎は左壕から出た。
ガルドスの背中が見えた。
神崎が斬り込む。
ガルドスは振り向きざまに斧を合わせた。完全に間に合っている。聖剣と斧の間で火花が散った。
「もう読んだのか」
「同じ手を何度も見せるな」
ガルドスが踏み込む。
神崎は二合だけ打ち合い、また左壕へ下がった。
神崎がまた左壕へ下がると、ガルドスは反対側の右壕を警戒した。
左壕の縁に門が開く。
神崎は入らなかった。雪を蹴って、そのまま正面へ戻る。
「な――」
聖剣が黒い鎧の肩口へ深く入った。
ガルドスが吠える。
神崎は剣を抜いて離れようとしたが、巨大な拳の方が速かった。頬を打ち抜かれ、視界が跳ねる。
雪へ倒れた神崎へ、ガルドスが斧を振り上げた。
神崎が転がって逃げた直後、刃がすぐ横へ落ちて雪と土が爆ぜた。
「今のは良かった」
ガルドスの肩から血が流れている。
「だが、門に気を取られたとでも思ったか」
「ちょっとだけ」
神崎が笑った。
ガルドスも笑った。
砦から伝令の声が飛んだ。
「タクミ殿! 治療所から王都搬送二名!」
大橋が神崎へ叫ぶ。
「神崎さん、一回戻しますか!」
「俺はここにいます! そっち送ってください!」
「了解!」
左壕の門が消えた。もう、押し返されても戻る先はない。
それでもガルドスの攻撃は止まらなかった。神崎は自分の足だけで間合いを外し、横薙ぎを避けて懐へ入る。柄の一撃を受けてから斬り返し、肩、脇腹、太腿へ浅くても確実に傷を増やしていった。
神崎の方も無傷では済まない。
頬が切れ、右腕が痺れ、呼吸が荒くなる。
東壁から二度目の警報が上がった。神崎は振り向かず、剣先をガルドスへ向けた。
中央の予備弩兵が壁沿いを東へ走っていく。
ガルドスの斧が神崎の右肩を掠めた。厚くした肩当てが刃を滑らせ、それでも留め具ごと裂け飛ぶ。神崎は下がらなかった。
聖剣を返し、ガルドスの胸へ横一文字に傷を入れる。
ガルドスが、この戦いで初めて一歩下がった。
ガルドスはすぐに戦斧を両手で握り、今までより低く構えた。
ガルドスが踏み込んだ時には、もう斧が目の前だった。聖剣を合わせた瞬間、衝撃で足が浮いた。
今度は十歩では済まない。雪の上を転がり、肩から地面へ落ちる。
神崎が立ち上がる前に、ガルドスはもう次の踏み込みへ入っていた。
大斧を大きく引き、全身ごと回してくる。ここまでで最も大きい一撃だった。
下がっても追いつかれる。横へ逃げるには遅い。
神崎は前へ出た。
斧が最高速になる前に、間合いを潰す。
巨大な刃が左の肩当てごと肩を削り、痛みで腕が落ちかけた。それでも神崎は止まらない。斧の軌道の内側へ入ると、ガルドスの胸が目の前にあった。
「おおおっ!」
神崎は聖剣を突き込んだ。黒い胸甲を貫き、刃が深く入る。
ガルドスの拳が横腹へめり込み、息が詰まる。それでも神崎は剣から手を離さなかった。
ガルドスがもう一度、斧を持ち上げようとする。
神崎は聖剣を引き抜いて半歩踏み直した。
「もう一回!」
斜め下から振り上げる。
聖剣が胸甲を切り裂き、肩まで抜けた。
ガルドスの腕から戦斧が落ちた。
巨体が揺れる。ガルドスは一歩だけ踏み出そうとして、膝から雪へ落ちた。
そのまま、戦場の中央へ倒れた。
少し遅れて、魔王軍側から撤退の角笛が鳴った。
「敵、下がります!」
砦から歓声が上がった。
東壁からはまだ煙が上がっている。崩れた胸壁の前を担架が何度も往復していた。
神崎は聖剣を雪へ突き、ようやく息を吐いた。
◇
治療所へ戻ると、美奈は別の兵士の治療中だった。
「神崎君、歩けます?」
「はい」
「じゃあ後で」
「はい」
大橋は治療所の奥で王都への門を開いていた。担架が二つ通り、すぐ次の担架が運ばれてくる。
「大橋さん、まだ?」
「搬送あと三人。東壁の矢もその次です」
神崎は壁際へ座った。
「今回、俺、ガルドスしか斬ってないです」
「そのガルドス倒したんでしょう」
大橋は次の担架を門へ通した。
「こっちはまだ終わってないですけど」
◇
翌朝、三人が王都へ戻ってきた。
王国からの報酬は金貨三百枚。追加の緊急輸送分も精算された。
三人への手当、三つの勤務先への補償、装備修繕、薬代と経費を先に分ける。それでも、俺の調整手数料は過去最高だった。
「佐伯さんのところ、儲かりました?」
大橋さんが聞いた。
「過去最高です」
「俺も?」
「特別手当、金貨十二枚」
「前の月給二か月分超えた」
「美奈さんも同額です」
「神崎君は?」
「十五枚」
「ガルドス代?」
「危険手当です」
「請求書もガルドス代でよくないです?」
「経理に説明したくないので嫌です」
昼過ぎ、王国から使者が来た。
「国王陛下より、今後も同じような人員手配を優先的に依頼したいとのことです」
「条件は聞きます。専属にはしません」
「なぜ」
「三人とも、うちの社員じゃないので」
「……一人も?」
「一人もです」
「では、お前は何なんだ」
「転職屋です」
「転職屋の仕事か、それは」
「最近増えました」
◇
翌日の夕方には、北境軍務局の使者が来た。
「ケイスケ殿で?」
「はい」
「魔王軍から、あなた個人宛ての文書です」
「魔王軍から?」
「はい。正式な軍使を通じて届いています」
差出人は、魔王軍四天王ゼルガ。
本文は短かった。
現職を辞めたい。
ただし、その前に後任を採用する必要がある。
人材紹介を依頼したい。
大橋さんが横から二度読んだ。
「……転職相談ですよね?」
「たぶん」
「後任採用って書いてありますけど」
「俺もそこが気になってます」
「求人票の職種欄、何て書くんですかね」
「……四天王でしょうね」
「そのまま書くんだ」
「そこから考えたくないです」