# 第1話 勇者、辞めたいんですか?
「勇者を辞めたいんですけど」
閉店五分前に来た客は、椅子に座るなりそう言った。俺は手に持っていた帳簿を閉じた。
「分かりました」
「……え?」
「転職相談ですよね」
「いや、まあ、そうなんですけど」
男は困ったようにフードを外した。見覚えがあった。というか、この国で知らない奴の方が少ない。
黒髪で、年は二十歳そこそこに見える。左の眉に薄い傷がある。腰に下げているのは、長く王城の宝物庫に保管されていたという聖剣アルディオン。
|神崎蓮《かんざきれん》。二十一歳。
八か月前まで日本の大学三年生だった。俺と一緒にこの世界へ召喚され、今ではこの国で一番強いと言われている勇者だ。
「神崎さんですよね」
「やっぱり分かります?」
「その剣持って王都歩いてる人、他にいないので」
「ああ……これか」
神崎さんは聖剣を見下ろした。八か月前、同じ召喚陣から出てきた神崎さんには《聖剣適合》と《身体強化》が発現した。加護の鑑定後、神崎さんは《勇者》として王国と雇用契約を結び、そのまま王城に残った。俺には雇用の話すら来ず、金貨二十枚を渡されて城の外へ出された。当時はずいぶんな差だと思った。
今、閉店五分前の職業紹介所で「勇者を辞めたい」と言っている本人を見ていると、どっちがマシだったのかは分からない。
「まず確認します。勇者を辞めたい、で合ってますか」
「はい」
「理由を聞いても?」
「戦うのが嫌になったわけじゃないです。むしろ、戦うのは結構好きです。……好きって言うと変ですけど」
神崎さんは少し考えた。
「魔王軍に人間みたいな種族がいるのも、王様と揉めたのも理由じゃないです。単純に、休みがなくて」
俺は紙を一枚出した。
|佐伯圭介《さえきけいすけ》、三十一歳。前の世界でも転職エージェントをやっていた。
この世界で職業紹介所を始めて半年弱。相談者が料理人でも荷運び人でも勇者でも、最初に知りたいことは大体同じだ。今の仕事の何が嫌で、次はどう働きたいのか。
神崎さんは鞄から手帳を出した。
「最後に休んだの、六十三日前です。そこからずっと勤務で、遠征の時は夜の見張りもあります」
「六十三日」
「休みは三回申請しました。一回目は東部でオーガが出たから駄目。二回目は王女の護衛。三回目は……」
神崎さんが遠い目をした。
「『魔王は休んでいない』って言われました」
「それ言った人、魔王の勤務表持ってるんですかね」
神崎さんが吹き出した。今日初めて笑った。
「俺も、言われた時ちょっと思いました。魔王って本当に一日も休まないのかなって」
「そもそも魔王が休まないから部下も休むなって、真似しちゃ駄目なやつですけどね」
「経営者扱いなんだ……」
俺は紙に条件を書いていく。
「次も、戦う仕事でいいですか」
「はい。魔物討伐なら。遠征も大丈夫です。夜の見張りも毎回じゃなければ」
そこで少し声が落ちた。
「王女の護衛は、できればもういいです」
「休みは?」
「週に一日でもありがたいです」
「ありがたいじゃなくて、希望を聞いてます」
「……じゃあ二日。できれば連続で」
「休みの日は?」
そこまで聞くと、神崎さんは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「釣り」
「釣り?」
「王都の西に川あるじゃないですか。前に遠征で通った時、結構大きい魚が見えて。竿買ったんですけど、一回も使ってなくて」
俺は希望欄に「釣り」と書いた。
王国最強の勇者の転職希望としては、かなり平和だった。
その下へ二つ書き足す。
週休二日。連休可。
休日の呼び出し原則なし。
「ほかに条件あります?」
「給料は今のままでもいいです。月に金貨三枚で、宿と食事は王城持ちです」
安い。
いや、この世界の一般兵なら悪くない。だが神崎さんは一人で大型魔獣を倒せる。同じことを騎士団にやらせたら、何十人動かすことになるのか。
「分かりました」
「……何がです?」
「希望条件です」
俺は紙を神崎さんの方へ回した。神崎さんは、週休二日のところで一度手を止めてから、最後まで読み直した。
「俺、こんな条件出していいんですかね」
「六十三日働いた人が、二日休みたいって話ですよ」
「でも……勇者ですし。世界が危ない時に休みたいって、かなり駄目な奴じゃないですか」
六十三日働かせる側ではなく、二日休みたい側が罪悪感を持っている。俺も日本では、休日に求職者のメールへ返事をしていた。自分が休めば、その人の転職が止まると思っていたからだ。
結局、会社を辞めるより先に、俺の方が休職した。
「神崎さん」
「はい」
「今の職場に残りたいですか」
少し間があった。
「……残りたくないです」
「じゃあ辞めましょう」
神崎さんが固まった。
「そんな簡単に言います?」
「転職屋なので」
「いや、俺、勇者ですよ」
「知ってます」
「王国と雇用契約を結んでます」
「その契約を見たいんです」
「ああ……分厚いやつ。控えは部屋にあります」
「内容は覚えてます?」
「ほとんど。召喚された次の日に、『勇者として働くための手続きだ』って言われて。俺、大学生だったし、金貨一枚がどれくらいかも分かってなかったので」
俺に発現した加護は《契約保証》だ。双方が合意して署名した契約を改ざんできなくする。
ただし、既に結ばれた契約を消したり、人を無理やり従わせたりはできない。だから、まず読むしかない。
「明日、その控えを持ってきてください。辞められるかどうかは、それからです」
「もし、辞められなかったら?」
「その時は、何が引っかかってるのか調べます」
「それでも無理なら?」
「残るなら、条件を変える交渉をします」
神崎さんはしばらく俺を見ていた。それから、ゆっくり息を吐いた。
「……勇者って、辞められるんですか」
「知りません」
「知らないんですか」
「契約見てないので」
俺は閉じた帳簿を端へ寄せた。
「でも、辞めたいなら、辞める方法を探しましょう」
◇
翌日の昼。
神崎さんは王国との《勇者雇用契約書》を持ってきた。三十二ページ目に、こう書いてあった。
契約期間中、勇者本人の都合により本雇用契約を中途解除する場合、違約金として金貨百枚を王国へ納付すること。